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Journey 2019    紀行 東北

何故、恐山には幽霊がいると言われているのか。其処に墓地があるわけでもないのに。
「死者」は、弔いをする人の心が集まる場所に居る、という印象がある。弔う人が居てこそ死者は存在するのなら、人間が居なくなったら死者も消えて無くなることになる。
子どもの頃から、死後の世界なんかよりも、この世の方がずっと怖かった。自分が生まれる前に人類に起きた出来事を知れば知るほど、とんでもない世界に生まれてきてしまったもんだと思った。
その過去を人類として背負って生きていかねばならないのだと思った。
人の死を嘆くことは、人間の存在のあり様について嘆くことと同じかも知れない。
人の死という、ふわふわした存在に比べて、圧倒的な実体と存在感を持つ自然のマテリアル。それは人類の弔いの想いを受け止めてくれているのだろうか。

逆に、”弔い”ということもなく、ただ死者を思うことは可能か。私はその人たちを知らないのに、ただ、死者の存在を感じている。死者を想うとは一体何なのかなのか。”弔い”そのものの意味とは。

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